NO、19 当社にて開催「助産師国家試験直前セミナー2021 Zoom講習会」

1月9日(土)、10日(日)、23日(土)、24日(日)の4日間にわたり、株式会社クオリティケア様よりご依頼の「助産師国家試験直前セミナー2021 Zoom講習会」が当社にて開催されました。



  新型コロナウイルスの感染拡大防止策の一環として、ミーティングやセミナーのオンライン化が進んでいますが、こちらの講習会も今年度は会場を借りての実施はせず、「Zoom講習会」での開催となりました。

当社にとっても初の試みとなるオンラインセミナー(ウェビナー)でしたが、各パネリストの先生方やクオリティケア様のご協力を頂き、無事1回目の講習を終えることができました。

オンライン授業や、オンラインセミナーが盛んになりつつある時節柄、受講者の皆様やパネリストの先生方もZoom操作慣れておられ、大きなトラブルが発生することもなく、セミナーは速やかに進行しました。

弊社会場の様子

まだ課題は残るものの、弊社は今後もオンラインセミナーを開催したいという企業様や学校様のサポート業務に携わってまいります。


ウェビナー開催中での弊社ホスト側からの様子

オンラインで講習を開催してみたいが、何から始めて良いかわからない、ZoomやTeamsを使用して会議を催してみたい、等でお困りの方は是非当社に一度ご相談ください。

NO、18 東京カイシャハッケン伝

東京都が主催する「中小企業しごと魅力発信プロジェクト」運営事務局様が運営している「東京カイシャハッケン伝」に当社川越工場の記事が掲載されることになりました。
そのために、川越工場が取材を受けることになりました。事務局の担当者の方、ライターの方、カメラマンの方が訪問していただき、写真撮影、インタビューを行ないました。
「東京カイシャハッケン伝」は就職活動を行なっている学生(高校生・大学生)に向けて情報を配信している媒体です。主に会社の特色・働き方・教育制度について中小企業の魅力を掲載しています。若い人たちに中小企業のことについて知ってもらえる良い機会になればうれしいと思います。
インタビューは、ライターの方がメインになって行ないました。
先ずは、社長のインタビューです。インタビューの内容は、会社の歴史・印刷業界の歴史、取り扱っている仕事の内容の時代的な変化、印刷会社の営業マン・社員としての心得、コロナ禍における印刷業界の動向、当社の強みである風かみから風しもまでの作業設備、今後手がけたい仕事について、品質に対するお客様の要望と当社の姿勢、働き方改革に対する対応状況、社員教育・資格取得の奨励、社員の労働意欲を向上する試みについて、お客様である出版業界の動向、就職活動を行なっている人たちに伝えたいこと、新入社員の方に望む人材像、社員に身につけることを期待する事柄など多岐にわたり約1時間行いました。

インタビューを受ける鈴木社長

社員の方は、印刷課の野口さん、生産管理課の関本さんがインタビューを受けました。実務作業の内容、会社に入社した経緯について、入社前と後の印刷会社・印刷業界の印象の変化、入社を決めた理由について、入社前と入社後のギャップ、仕事を通して感動したこと、入社後の教育・研修について、作業上で苦労したことや不安だったこと、働き方の環境について、会社の魅力、会社員としての将来の展望について、就職活動をしている人たちに一言について話していました。今後の彼らの行動に期待していきたいと思います。インタビューの時間は各々20分ぐらい行ないました。

インタビューを受ける野口さん

インタビューを受ける関本さん

写真撮影は、生産管理、印刷機、製本、CTP刷版と各部署で撮影しました。野口さんと関本さんが働く姿をメインにして撮影を行いました。他の方々にも協力してもらいありがとうございます。今回の取材で会社にとっての魅力とは、強みとは、特長とは何かと再度考える機会を与えていただき感謝いたします。記事ができるのを楽しみにしてます。

印刷機の前で写真撮影

NO、17 上杉家(うえすぎけ)、格式高い家柄


▲上杉謙信公の像、米沢城址
上杉というと歴史の教科書に出てくるような有名な苗字です。上杉謙信、上杉景勝は戦国武将として現代でも有名ですし人気もあります。

▲地図上に扇谷上杉家糟屋館(おうぎがやつうえすぎけかすやかん)という文字があります。どんな屋敷があったのでしょうか?

▲糟屋館の跡にはこの記念碑が残るだけです。
神奈川県伊勢原市に扇谷上杉家糟屋館(おうぎがやつうえすぎけかすやかん)という旧蹟があります。今では、建物とかは何もないのですが、上杉家とこの辺りがどんな関係があったのか?伊勢原で有名な祭りの道灌祭りの太田道灌の暗殺で上杉家が関わっていることは知っていましたが、それ以上はあまり知りませんでした。

▲鎌倉、亀ケ谷坂、切り通し。鎌倉らしい景色です。
1252年鎌倉時代、宗尊親王(むねたかしんのう)の鎌倉幕府将軍就任に従って藤原重房(ふじわらしげふさ)または勧修寺重房(かじゅうじしげふさ)は鎌倉へ下向しました。(勧修寺家という家系は藤原家の支族の一つです)その功績によって丹波国上杉荘(京都府綾部市上杉)を賜りました。その後、丹波国上杉荘に因んで「上杉」という姓を名乗ります。これが上杉家の始まりで、上杉重房(うえすぎしげふさ)は上杉家の祖で、初代です。

▲鎌倉、山ノ内にあった関東管領屋敷跡の石碑。明月院の中にあります。
室町時代になると上杉氏は関東管領(かんとうかんれい)という役職を世襲して有力な守護大名として栄えていきます。
関東管領とは南北朝時代から室町時代に幕府が設置した鎌倉府の長官である鎌倉公方(関東公方ともいわれています)を補佐するために設置された役職名です。
室町幕府のあった京都では最高権力者が将軍であり将軍を補佐する役職が管領になります。関東10か国(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野、伊豆、甲斐)を統治するための最高権力者が鎌倉公方で公方を補佐する役職が関東管領になります。
上杉家が世襲していた関東管領の地位の高さがわかると思います。関東では2番目で全国においても3番目か4番目の地位ではないかと思われます。
室町幕府を開いたのは、足利尊氏(あしかがたかうじ/初代将軍)です。尊氏の嫡子(ちゃくし/第1相続人)に義詮(よしあきら/二代将軍)がいてその弟に基氏(もとうじ)がいます。この方が初代の鎌倉公方になります。以後基氏の子孫に鎌倉公方は受け継がれていきます。

▲鎌倉、明月院。この辺りに関東管領の屋敷がありました。鎌倉から上杉家は始まっています。

▲上杉神社拝殿。山形県米沢市の地に上杉家は導かれていきました。
上杉家宗家の系図は、
初代/上杉重房(うえすぎしげふさ/鎌倉時代中期/生誕不明/死没不明)
2代/上杉頼成(うえすぎよりしげ/鎌倉時代中期/生誕不明/死没不明)
3代/上杉憲房(うえすぎのりふさ/鎌倉時代末期〜南北朝時代/生誕不明/死没建武3年、延元元年、1336年)
4代/上杉憲顕(うえすぎのりあき/鎌倉時代末期〜南北朝時代/生誕徳治元年、1306年/死没正平23年、応安元年、1368年)初代関東管領で山内上杉家の始祖にあたります。
5代/上杉憲方(うえすぎのりかた/南北朝時代〜室町時代初期/生誕建武2年、1335年/死没応永元年、1394年)
6代/上杉憲定(うえすぎのりさだ/室町時代前期/生誕天授元年、永和元年、1375年/死没応永19年、1413年)
7代/上杉憲基(うえすぎのりもと/室町時代中期/生誕元中9年、明徳3年、1392年/死没応永25年、1418年)
8代/上杉憲実(うえすぎのりざね/室町時代中期/生誕応永17年、1410年?/死没文正元年、1466年)衰退していた足利学校と金沢文庫を再興しています。
9代/上杉憲忠(うえすぎのりただ/室町時代中期/生誕永享5年、1433年/死没享徳3年、1455年)
10代/上杉房顕(うえすぎふさあき/室町時代中期/生誕永享7年、1435年/死没寛正7年、1466年)
11代/上杉顕定(うえすぎあきさだ/室町時代後期〜戦国時代/生誕享徳3年、1454年/死没永正7年、1510年)
12代/上杉顕実(うえすぎあきざね/戦国時代/生誕不明/死没永正12年、1515年?)
13代/上杉憲房(うえすぎのりふさ/室町時代後期〜戦国時代/生誕応仁元年、1467年/死没大永5年、1525年)
14代/上杉憲寛(うえすぐのりひろ/戦国時代/生誕不明/死没天文20年、1551年)足利晴直(あしかがはるなお)とも呼ばれる。古河公方足利家出身。
15代/上杉憲政(うえすぎのりまさ/戦国時代〜安土桃山時代/生誕大永3年、1523年/死没天正7年、1579年)北条家との抗争に敗北した後、長尾景虎(ながおかげとら)を養子として迎え、上杉家の家督と関東管領を長尾家が相続しました。
16代/上杉謙信(うえすぎけんしん/戦国時代〜安土桃山時代/生誕享禄3年、1530年/死没天正6年、1578年)米沢上杉家の始祖。
17代/上杉景勝(うえすぎかげかつ/戦国時代〜江戸時代前期/生誕弘治元年、1556年/死没元和9年、1623年)豊臣政権では五大老の一人、上杉宗家(山内上杉家)17代目、米沢上杉家2代目。

▲川越、喜多院。この辺りにも上杉家の痕跡はたくさんあります。
関東管領を務めていた上杉家にはいくつかの家系に分かれていきます。

▲山ノ内は鎌倉の地名に残っています。
山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)
代々関東管領を引き継いでいる家系で、上杉家の宗家にあたります。鎌倉の山内に住んでいたことに因んでいます。上野国(こうずけのくに)を拠点にして活躍していました。平井城(ひらいじょう/群馬県藤岡市)が主な居城です。

▲扇ガ谷。鎌倉の地名です。
扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)
鎌倉の扇谷に住んでいたことに因んで名付けられています。相模国(神奈川県)武蔵国(東京都から埼玉県)を中心にして活躍していました。江戸城や河越城が主な居城です。上杉家2代当主の上杉頼重(うえすぎよりしげ)の子の上杉重顕(うえすぎしげあき)を始祖とする家系です。伊勢原にあった糟屋館は今では何も残っていないのですが当時は相当大きな城郭であったのではないかと言われています。今後の発掘調査に期待したいです。
宅間上杉家(たくまうえすぎけ)
鎌倉浄明寺を拠点にしてその後相模国永谷(現在の横浜市港南区辺り)に移りました。宅間は当時の鎌倉の地名に因んでいます。戦国時代、宅間上杉家は小田原の北条氏に従うことになります。しかし、格式の高い家柄であったため北条氏の他の家臣とは別格の扱いを受けていて「宅間殿」と尊称をつけて呼ばれていました。江戸時代には宅間氏として旗本になっています。
犬懸上杉家(いぬがけうえすぎけ)
鎌倉の犬懸(鎌倉浄明寺)に在住していたことから付けられた家名であります。上杉家3代当主上杉憲房(うえすぎのりふさ)の子の上杉憲藤(うえすぎのりふじ)が始祖です。室町時代中期には関東管領となり下総国を拠点にして関東全域に影響を及ぼしていたが上杉禅秀の乱(室町時代、応永23年、1416年)を境に衰退していきました。上杉禅秀の乱とは、上杉氏憲(禅秀)(うえすぎうじのり/関東管領/反乱時は関東管領は更迭されています)が鎌倉公方足利持氏(あしかがもちうじ)に対し関東管領職をめぐって反乱を起こします。しかし失敗してしまいました。

▲深谷上杉氏ゆかりの寺と書かれた石碑です。
深谷上杉家(ふかやうえすぎけ)
山内上杉家から分家した家系です。深谷城(埼玉県深谷市)を居城にして活躍していました。
越後守護上杉家
越後(新潟県)を拠点にして活躍しました。山内上杉家から分家した家系です。越後上杉家7代目の上杉房能(うえすぎふさよし/1474〜1507年)の時、長尾為景(ながおためかげ/越後の武将)と対立し、自害に追い込まれてしまいます。長尾為景というのは後の上杉謙信の父親にあたる方です。
千秋上杉家
上杉家3代当主上杉憲房(うえすぎのりふさ)の庶兄(しょけい/異母兄のこと)上杉頼成(うえすぎよりなり)の家系です。

▲米沢城址の堀。
室町時代の西暦でいうと1400年代あたりから室町幕府と鎌倉公方が対立するようになります。鎌倉公方足利持氏(あしかがもちうじ/初代基氏から4代目)の時、永享(えいきょう)十年(1438)から十一年にかけて永享の乱という室町幕府と鎌倉公方が全面衝突した争いが起きます。その時鎌倉公方を補佐する役目の関東管領は鎌倉公方側にはつかずに室町幕府側について対立しています。この乱で関東管領上杉憲忠(うえすぎのりただ)は鎌倉公方足利持氏を死に追い込んでいるぐらいです。
永享の乱の後、鎌倉公方が不在になったりとか色々とあった結果、次の鎌倉公方は足利成氏(あしかがしげうじ/持氏の子)になりました。その後鎌倉公方足利家と関東管領上杉家の対立は激しくなっていきます。

▲扇谷上杉家屋敷跡の石碑
享徳(きょうとく)3年(1454)、足利成氏は上杉憲忠を公方御所(鎌倉)に招きよせて誅殺(ちゅうさつ)しました。さらに憲忠の屋敷(鎌倉山内)に夜討ちをかけました。これによって上杉方は大打撃を受けることになります。このことをきっかけで享徳の乱(きょうとくのらん)が始まります。足利成氏はその後鎌倉を離れて下総古河(しもうさこが)に移りここを本拠地にします。これ以降は、古河公方(こがくぼう)になります。足利公方家と上杉家の対立はますます激しくなっていきます。さらに室町幕府も絡んでいきますので戦いが長引いていきます。享徳の乱は享徳3年(1454年)から文明14年(1483年)まで28年間続きました。

▲上杉鷹山公の像
上杉家は関東管領という役職を代々受け継いでいることから家柄が良く、名門の家系といえるでしょう。上杉家であることに対する誇りは非常にあったと想像できます。上杉家に仕えていた家臣の人たちも上杉家に仕えていることに誇りを感じていたことでしょう。
米沢市にある伝国の杜の上杉鷹山シアターという15分ぐらいの上杉鷹山の生涯をまとめた映像を見たときに印象に残ったことですが、江戸時代、米沢藩主の上杉治憲(うえすぎはるのり/上杉鷹山(うえすぎようざん))は借金で苦しんでいる藩の財政を改革するために倹約することで改革を進めようと決めます。上杉という家名に誇りを持っている家臣は倹約(贅沢をしないで節約すること)という改革の手段に大反対します。家名の格式を重んじる事を優先して、格式を重んじるための出費は当然だと考えていたようで現実を軽視してしまったと思います。 米沢藩の改革は大変な道のりであったようでした。

▲上杉鷹山の有名な名言です。

▲江戸城址。東京も上杉家ゆかりの地と言えるところです。

▲川越城址。扇谷上杉家の拠点でありました。


▲新東名の伊勢原インターの近くの遺跡発掘の現場です。遺跡発掘の説明会に参加したところ、窪んでいるところは戦国時代の城郭の堀ではないかということです。まだ調査中だそうですが、扇谷上杉家の糟屋館と関係のあることに期待したいです。

NO、16 今年の干支は「庚子(かのえ・ね)

元旦の天気は良かったのですが、初日の出が昇ってくる方角は雲が多くて綺麗な日の出を見ることができませんでした。

2020年の干支は「庚子(かのえ・ね)」年です。十干(じゅっかん)が「庚(かのえ)」で十二支(じゅうにし)が「子(ね・ねずみ)」です。
庚子(かのえ・ね)の年はどのような年になるのでしょうか?
庚(かのえ)という文字には終わる、改める、変更、更新といった意味があるようです。結実の後に転身するイメージでとらえることができます。今まで取り組んでいた事で結果が出て、その結果から次の新しい事に再挑戦していくという事でしょうか。十干は「甲(コウ・キノエ)、乙(オツ・キノト)、丙(ヘイ・ヒノエ)、丁(テイ・ヒノト)、戊(ボ・ツチノエ)、己(キ・ツチノト)、庚(コウ・カノエ)、辛(シン・カノト)、壬(ジン・ミズノエ)、癸(キ・ミズノト)」で、庚(かのえ)は7番目です。
子(ね)はねずみで繁殖力が高くどんどん増えていく、増加していくという意味があり、十二支の最初ということもあって始まり、出始め、最初というイメージがあります。十二支は「子(ネ/ネズミ)、丑(ウシ)、寅(トラ)、卯(ウ/ウサギ)、辰(タツ/リュウ)、巳(ミ/ヘビ)、午(ウマ)、未(ヒツジ)、申(サル)、酉(トリ/ニワトリ)、戌(イヌ)、亥(イ/イノシシ)」で子(ね)は1番目です。
庚子年(かのえねどし)は改める、結果がでる、始める、増えるといったような言葉が出てくる年だと思われます。オリンピックを行うにふさわしい年ではないでしょうか。新しい事に挑戦するにはちょうど良い時期だという事でしょう!

陰陽五行と干支との関係
干支について調べていくと陰陽五行と深く関係している事に気付いていきます。五行とは、「木」「火」「土」「金」「水」でこの順番も重要です。「木」から「火」が生まれ、「火」から「土」が生まれ、「土」から「金」が生まれ、「金」から「水」が生まれ、「水」から「木」が生まれます。こうして自然界が成り立っていてこの世のすべてのものは五行の性質のどれかに当てはまるという考えです。
陰陽五行の「金」とは何か疑問になったので調べたら、土中に光り輝く金属という説明文を見つけました。
十干と陰陽五行との対応は、
甲(コウ・キノエ)は陽の木、
乙(オツ・キノト)は陰の木、
丙(ヘイ・ヒノエ)は陽の火、
丁(テイ・ヒノト)は陰の火、
戊(ボ・ツチノエ)は陽の土、
己(キ・ツチノト)は陰の土、
庚(コウ・カノエ)は陽の金、
辛(シン・カノト)は陰の金、
壬(ジン・ミズノエ)は陽の水、
癸(キ・ミズノト)は陰の水

十二支と陰陽五行との対応は、
子(ネ/ネズミ)は水、
丑(ウシ)は土、
寅(トラ)は木、
卯(ウ/ウサギ)は木、
辰(タツ/リュウ)は土、
巳(ミ/ヘビ)は火、
午(ウマ)は火、
未(ヒツジ)は土、
申(サル)は金、
酉(トリ/ニワトリ)は金、
戌(イヌ)は土、
亥(イ/イノシシ)は水

庚子(かのえ・ね)は陽の金と水に対応していて陰陽五行ではこの組み合わせの相性が良いとされていてこのことから2020年は飛躍の年になると思われています。
今年の十干の庚(かのえ)は読みが「かのえ」で「金の兄」と書きます。兄は陽を意味します。来年の干支は「辛丑(かのとうし)」です。十干の「かのと」は「金の弟」と書きます。弟は陰を意味します。
干支の意味づけというのは複雑な解釈があるということがよくわかります。

NO、15 日本脂質栄養学会第28回大会

日本脂質栄養学会第28回大会
〜油で健康イノベーション〜
2019年9月27日(金)・28日(土)の日程で一橋講堂で盛大に行われました。
両日とも天気に恵まれて沢山の来場者がありました。この大会に関わることで貴重な体験をすることができ感謝いたします。
この大会は医師、栄養学者、栄養士、薬学・農学・水産学・工学の研究者、企業関係者等、多様な分野の方々が集って情報交換を行うことによって、新しい脂質栄養学が育まれることを願って開催されています。
「油で健康イノベーション」をメインテーマに据えて、精神疾患や炎症・アレルギーなどの病態に脂質栄養がどのように関わるか、その機構解明も含め最新の研究成果を発表する場となっております。
上の文章は、日本脂質栄養学会第28回大会ホームページの大会長ごあいさつより引用いたしました。

▲一橋講堂内、講演中の様子です。

▲講演と講演の空き時間の様子です

▲中会議場です。テーブルの上に置いてある物はお弁当です。食を通して脂質栄養学を体験します。

▲会場の外には企業出展のスペースを設けています。

▲大会受付です。大会参加する時はここで受付をします。開演時は大変混雑していました。

▲壁に貼ってあるポスターです。

▲今回の大会では、託児室を設けました。利用者はお子様が一人いました。

▲企業の方からのご提供です。まだ暑かったので手軽に水分補給でき大変助かりました。

▲出展企業様の展示エリアでは商品の試食もできます。

▲ 体に良い食品がたくさん並んでいます。

NO、14 一橋講堂事前見学と脂質栄養学会第28回大会準備

2019年9月27日(金)・28日(土)に開催される日本脂質栄養学会第28回大会〜油で健康イノベーション〜の会場である一橋講堂に事前見学に行きました。
日本脂質栄養学会様の学会サポート業務を当社で承っておりその業務の一環として日本脂質栄養学会主催の大会に協力し運営業務を行なっております。
大会当日の会場設営準備は大会の日程を考えると時間的余裕があまりありません。可能な限り準備をしておくことで大会当日ゆとりのある行動がとることができます。そのためこの事前見学は大切な業務になっています。
事前見学で確認したい事柄は、
一橋講堂のメインスクリーンとパソコンを接続する方法、複数のパソコンを操作する方法、メインスクリーンに映される画面を切り替える方法、接続ケーブルを接続する方法、電源はどこにあるかの確認、接続ケーブル・電源ケーブルがどのくらいの長さが必要かの確認、照明のコントロールの仕方、マイクの使い方等沢山あります。さらに会場の普段なら入ることができない所を見ることができますし会場全体の雰囲気を感じることができます。

一橋講堂のビルです

会場となる一橋講堂正面入り口の様子です

一橋講堂メインスクリーン。パソコンの画面がこのスクリーンに映されます。

一橋講堂メインスクリーンにパソコンの画面を映すためのコントロールパネルです。複数のパソコンを接続した場合このモニターで切り替えを行います。

パソコンとメインスクリーンをつなぐケーブルの端子です。HDMIとD-sub15ピンが使用可能です。

有線マイクを接続するための端子です。1番と2番が割り振られていて1番から使用します。

一橋講堂3階調整室のコントロールパネル。

マイクの音量調整はこのつまみでおこないます。

講堂内の音響や照明、スクリーンの管理をおこなう機械です。

中会議場の室内。

中会議場演台のコントロールパネル。中会議場のスクリーンのコントロールやマイクの音量、パソコンとスクリーンの接続を管理できます。

演台の下の方にパソコンと接続するHDMI端子やD-sub15ピンの端子があります。

NO、13 ヤモリ


家でよく見るヤモリの姿、窓にへばりついています。
ヤモリとの出会いは、夜、家でくつろいでいる時、ぼんやりと窓に目を向けていたら、何かが窓にへばりついていることに気づいてその生き物には頭と胴と尻尾があって足が4本はえているとわかりました。よーく見ているとその生き物はヤモリだとわかりました。
ヤモリが窓にへばりつくことを知り感動しました。

夜、ヤモリが窓のところにへばりついていることに気づくと写真を撮ろうとヤモリに近づくとヤモリは隙間に隠れようとします。
隙間に隠れたヤモリをなんとか撮影しました。目がまるくて愛らしいと思いました。

ヤモリの特徴
身近に見られるヤモリはニホンヤモリといって爬虫類になります。
爬虫網(はちゅうこう)、有鱗目(ゆうりんもく)、ヤモリ科、ヤモリ属に分類されるトカゲの一種です。
夜活動している夜行性で、昼間は壁の隙間で休んでいます。
体長は10〜14センチメートル。体の色は灰色か褐色で環境に応じて体の色の濃淡を変えることができるのが特徴です。
四肢には指ごとに1対の趾下薄板(しかはくばん)が発達してそのおかげで垂直なガラス面等にも張りついて活動することができるようです。
ヤモリのエサは、昆虫やクモ、ワラジムシなどの陸生の節足動物を食べて生きています。
天敵は、猫、鳥、ヘビのような大きめの爬虫類です。
ヤモリは捕まりそうになったりするとトカゲと同じように尻尾を切って逃げようとします。切れた尻尾は10分ぐらいくねくねしたりして動いています。

ヤモリは縁起がいい!
ヤモリは家にとって害虫であるシロアリなどを食べてくれるありがたい生き物です。そんな事から、ヤモリは「守宮」「家守」「屋守」などのあて名が付けられるようになり家を守ってくれる縁起の良い生き物として位置づけられています。ヤモリを見たらこれから運勢が良くなっていくかなと思って、前向きな心持ちで生きていきましょう!

ヤモリのキャラクターグッズ
犬や猫を題材にしたキャラクターグッズはたくさんあるのですが、ヤモリを題材にしたキャラクターグッズってあるのでしょうか?と思い探すことにしました。もちろん、滅多にありません。雑貨屋さんを巡り巡ってやっとの思いで見つけたのがこのバッジです。「俺が守る」というキャッチがヤモリらしい責任感のある言葉でしょうか?



ヤモリの写真です。ヤモリの姿、形がよくわかると思います。写真が撮れた時間帯は夜と早朝でした。ヤモリの写真を撮るのは難しかったです。人の気配を感じるとすぐ逃げていきます。周りが明るい写真は朝撮影しました。雨戸を開けたらヤモリがへばりついていてこの機会を逃さず撮影に成功しました。撮りやすい時期は、梅雨の時期6月と7月でした。


NO、12 八重桐之池

ダムとしての名前は、中島ダムと言います。場所は静岡県小山町で、この辺りを通っている国道をそれてから車で10分くらいのところです。道路の幅は2台の車がすれ違うことできないぐらい狭い道路を行きますが、すれ違う車は滅多にないぐらいの秘境です。

この辺り一帯を金時公園と呼ばれていてその一部としてこの池はあります。池の名前の八重桐(やえぎり)は足柄山の金太郎こと坂田金時、父は蔵人(くらんど)、母は八重桐という名前で母の名前に因んでつけられています。案内板にはこの池のことや金太郎の生い立ちが書かれています。

まさかり かついで 金太郎の顔出しです。この顔出しはここにはなくて別の場所にあります。金太郎に因んで載せました。かわいいですね。

この池(ダム)が出来たのは今から100年前の1918年(大正7年)です。農業用水を目的にして作られた池です。この地域の水田に水を引いて豊かにしたのでしょうか。

写真の記念碑以外に3つ記念碑があり全部で4つありました。この事業に協力した方々の名前が刻まれていました。

案内板で観察小屋と言われている建物があります。不思議な形をした建物です。中に入ってみます。どんなものを観察するのでしょうか?

建物の内部です。不思議な空間です。何を観察して良いのか迷いますし、この中でのんびり休憩するような場所でもないようです。この建物を建てた作者の意図が不明です。

天端の景色です。堤頂長は60mで長さは短いです。天端は車道になっています。誰も来ないように思われますが、ここにいる間に2組の訪問者がいました。

ダムの堤体の下流側から天端に向けて眺めた写真です。ダムの堤高は17.4mのアースダムです。小さいですが非常に長い歴史があるダムです。長い年月をかけて整った緑の草のじゅうたんは素敵です。

洪水吐です。ダムの下流側(下)から上流へ見上げています。水が少しずつですが流れています。

ダムの上流側の洪水吐です。この洪水吐は自由越流式といって池に溜まった水は自然にここを乗り越えて池の外へ流れ落ちていきます。洪水吐は水がダム湖に溜まり過ぎるとダムの外に放流する設備です。

池の水面に建物があります。案内板によると水門と書かれていました。この建物から農業用水としてどこかに水を流すための設備ではないかと思われます。

水門への通路はこんなです。この通路は立ち入り禁止でした。入れないように柵がありました。写真は柵の隙間から撮りました。

NO、11 干支の話(己亥年)


2019年も何ヶ月も過ぎてしまい元号も平成から令和に変わりました。干支の話はお正月にするのが多いのですが。

今年の干支は、己亥(つちのとい)です。十干である「己(つちのと)」と十二支である「亥(い・いのしし)から成り立っています。
十干は、「甲(コウ・キノエ)、乙(オツ・キノト)、丙(ヘイ・ヒノエ)、丁(テイ・ヒノト)、戊(ボ・ツチノエ)、己(キ・ツチノト)、庚(コウ・カノエ)、辛(シン・カノト)、壬(ジン・ミズノエ)、癸(キ・ミズノト)」と10種類あって、太陽の運行を基準にして考え出された人生観です。

十二支は、「子(ネ/ネズミ)、丑(ウシ)、寅(トラ)、卯(ウ/ウサギ)、辰(タツ/リュウ)、巳(ミ/ヘビ)、午(ウマ)、未(ヒツジ)、申(サル)、酉(トリ/ニワトリ)、戌(イヌ)、亥(イ/イノシシ)」と12種類あって、月の運行を基準にして考え出された人生観のようです。

十干の「己」と十二支の「亥」にはそれぞれに意味があります。
十干は太陽の日の出から日の入りまでを表していて10種類のうち「己」は6番目にあたり、中天の太陽で生命の循環の中で最も栄えている時期を表しています。

「己」は、生命が横溢して真っ盛りを迎えた時期を指しています。こう見ると素晴らしい年になるのですが、干支の発想というのは中国の思想に影響を受けていて、中国の古くからある中庸思想というもがあるのですがそれには、何事もほどほどが良い、行き過ぎてはいけませんという発想があり、そのため真っ盛りだけど落とし穴もあるといった時期だということです。

十二支は月の満ち欠けを基準にして生命の循環を表しています。「亥」は十二支の最後にあたり、位置付けとしては、次の段階への準備期間、次の世代へつなげていくといった感じです。「己」の調子の良い雰囲気に比べると「亥」は準備期間といった地味な時期に感じられ対立する意味があるようです。

十干の「己」と十二支の「亥」の組み合わせだとどういった意味があるのでしょうか?
次の段階への準備期間であるのでじっくりと慎重に行動する大切な時期であるのですが、生命エネルギーが活発で溢れんばかりの活力があるので、その活力が邪魔をしてしまい落とし穴に落ちてしまう意味でしょう。

来年は2020年東京オリンピックを行われますし、オリンピックが輝かしく行われるためには充分過ぎるぐらいの準備が必要です。今年も半分終わりそうですが、今年は充実した準備期間としては過ごすのはいかがでしょうか!



猪の缶詰を見つけました。山合いにある道の駅の売店で見つけました。猪の缶詰は滅多に売ってはいません。めずらしい缶詰です。一個800円もする高価な品物です。


猪鍋です。煮る前と後です。イノシシの肉は臭みがあると言われてますが、臭みを少なくするために生姜がいっぱい入っています。イノシシの臭みの残った味に興味は持ちます。
美味しく頂きました。

NO、10 宮沢湖(宮沢溜池)


宮沢湖(宮沢溜池)は人の手によって作られた人造湖です。一般的に知られているダムといえばコンクリートで作られていますがこのダムは土で作られています。こうしたダムをアースダムと言います。
このダムは作られてから80年ぐらい経っていて堤体(ていたい)の斜面部分は草が生い茂っていて丘の斜面といった感じで人工的な建造物というよりも自然にできた草むらでしょうか!

時間が経過したアースダムの特長が良く出ている堤体の斜面です。のどかな景色で見とれてしまいます。
因みにダムということを定義すると堤体の高さのことを堤高(ていこう)と言いますが、この堤高が15メートル以上あるものをダムというそうです。本当はもっと細かい規定があるようですがここでは省かせてもらいます。

天端(てんば)からの景色です。一直線に道が続いています。この感じが人工的なところでしょうか!ダムの長さというか左右の長さを堤頂長(ていちょうちょう)というのですが、この長さは240mぐらいあって立派な長さだと思われます。

湖からダムの堤体を眺めてみます。直線的な物体で水を堰き止めている感じがよくわかると思います。ダムはこうして水を溜めて働いていることがよくわかります。

天端からダム湖をながめます。湖の周りには色んな建物が建っていてすごくにぎやかです。ダム自体は比較的地味ですしダムで人を呼べるようなダムではありません。見てみると必要があるかどうか不明ですが灯台が立っていたり、とんがった家や町外れのテントとか沢山建物があります。どんな方々が住んでいるのでしょうか?レストラン、雑貨屋、カフェ、アトラクションで大変賑やかです。

天端の隅っこにダムには必要な洪水吐(こうずいばき)という設備があります。台風や大雨、集中豪雨で大量に雨が降ってダム湖の水位が高くなるのでそこに水を逃がすための設備と思ってください。

この設備も巨大なダムに比べると地味でこじんまりと目立たずに存在しています。ダム湖の水位が上昇すると余分な水は自然にこのコンクリート囲みを乗り越えてダムの外に流れていきます。

今は雨が降っていないので空になっていますが水路があります。落ち葉がたくさん落ちています滅多に使われることはなさそうです。

ダムの堤体の中央よりに小川が流れています。この川に常にダム湖から水が流れているのしょう。洪水吐はほとんど必要がなくなったのでしょう。

宮沢溜池のスペック
目的/かんがい用水
形式/アースダム
堤高/18.5m
堤頂長/240m
堤体積/329千㎥
総貯水容量/879千㎥
有効貯水容量/879千㎥
河川/荒川水系小畔川
ダム事業者/埼玉県
着手/1931年
竣工/1941年

NO、9 紅葉の名所


▲箱根登山鉄道終着駅の強羅駅の近くから見た景色です。かすかに白い煙が出ているところが箱根の温泉の元になる噴煙です。早雲山という山です。山の形がえぐれているのは、大昔に山体崩壊という自然現象が起き土砂が流れてきて、この辺りの地形を作ったと聞きました。

▲強羅駅から出発しているケーブルカーです。登山鉄道と同じくらい人気のある乗り物です。この日は乗るために行列が100メートルぐらいありました。乗るのはあきらめました。写真真ん中の少し青く見えるところは海です。強羅は標高500メートル以上の山の中ですが、山と海を同時に見ることに感激します!


▲強羅駅から歩いて5分くらいの場所に強羅公園があります。この公園が紅葉の美しさで有名です。今年は、台風が沢山来てしまった年でした。暴風雨の影響があったのでしょうか?木の葉が少ないと思います。いつもだともっと色が濃いのになと感じられるのですが。いつもより寂しい紅葉のように思われます。

▲色づいたもみじが水の中に落ちて真っ赤に咲いているようです。水の周りには苔が生えていて緑色と紅色と水の反射の共演が紅葉らしい景色です。

▲箱根は生えている苔の種類が沢山あることで有名です。強羅公園の木と木の隙間、建物と建物の隙間、公園にある全ての隙間を埋めるように苔が育っています。たくましいことです。


▲十月桜という名の桜です。春に咲くソメイヨシノのように派手に沢山の花が咲く訳ではないです。秋から冬にかけて咲きます。淡い紅色の花が点々と咲いていました。花ことばは「神秘な心」「寛容」だそうです。

 

NO、8 小森コーポレーションつくばプラント訪問

2018年9月に四六全判両面オフセット毎葉印刷機LITHRONE S44SPを川越工場に導入する前準備として印刷機の見学を行うために訪問しました。

小森コーポレーションの方から印刷機の説明を受けています。


PQC(Printing Quality Control)インキの量の調整や咥え、見当の調整などを行う印刷機を管理する運転席の役割をしています。

 

LITHRONE S44SPのロゴマークです。

 

印刷機全体の写真です。人の姿と比較すると、印刷機の大きさがイメージできると思います。

 

▲検査装置のカメラです。黒い四角く突き出している物がカメラになります。

▲この細くて長い隙間のようなところをカメラで撮影して印刷物の品質を確認します。

▲検査装置のカメラです。裏面(印刷機の下側)のほうです。両面印刷機なので表裏両面から検査できるようになっています。

▲こちらの隙間も細くて長いです。

 

ここからの写真は遊びのつもりで撮りました。印刷機の部品で顔に見える部分を写してみました。

 

▲スマイルマークがありました。印刷機にとってこれはなんでしょうか?癒されるためについているわけではないと思います。
 

▲目と鼻と口があるように見えませんか?左はカエルに見えてきました。右は面長の顔に見えます。

 

▲この2枚の写真はタコなのか想像上の宇宙人のような形です。これはフィーダー部分で印刷機にとって重要なところです。

 

▲穴がバランスよく均等に2つあると目に見えてきます。右は緑色の光がなんとなくかっこよかったです。

 

つくばプラントの入口に飾ってあったレトロな印刷機です。
1942年製造のオフセット印刷機です。印刷の歴史を感じられます。この印刷機でどんな人がどんな物をどんな事を思いながら印刷作業をしていたのかを思いながら眺めてみました。

NO、7 ダムカレー

ダムカレーって?
ダムっぽい形をしたカレーです。白飯を案外強めに固めてダムの建造物を作りダム湖にあたる部分はカレーのルーをためることで再現しています。


ダムカレーを決壊させて大惨事を起こそうとしたのですが白飯で作ったダムは頑丈に固められていて壊すことはできませんし、ダムの平和的利用を考えるとそんなことはできませんでした。
ダムカレーはこの頃人気があるようで有名なダムにはそのダムならではのダムカレーがあるようです。黒部ダムとか八ッ場ダムとか。


このダムカレーは宮ヶ瀬ダム放流カレーです。
このダムカレーは素晴らしい特徴があってダムの部分にウィンナーで栓をしているのですが、このウィンナーを引っこ抜くと放流シーンが再現されるのです。動画を撮る人が沢山います。
ダムと言っても色々な種類の形式があります。


ダムとは、発電や治水などを目的にして河川を堰き止めた建造物で建造物の高さが15メートル以上ある物です。
ダムの形式としてはアース式ダム、ロックフィル式ダム、重力式コンクリートダム、アーチ式コンクリートダムが一般的な形式のダムです。


ダムの受付けあるいは案内所的な所に行くとダムカードがもらえます。これはマニアの心をくすぐる品物ではないでしょうか?
ダムについて調べたいという気持ちが湧いてきました。

長田

NO、6 苔と桜

3月に入って急に暖かくなって桜が咲く時期になりました。春の暖かい陽射しの中で華やかに咲いている桜。桜は毎年変わりなく綺麗に咲いています。


サヤゴケ
ヒナノハイゴケ科/学名Glyphomitrium humillimum(グリフォミトリウム フミリムム)
桜の樹にゆかりのある苔としてすぐにひらめく苔としては、「サヤゴケ」を思い出します。サヤゴケは低地から山地の樹幹に塊状に群生し、日本全国から東アジア全体に広く生育している植物です。写真は、サヤゴケを背景にして桜の花を撮影しました。桜と苔の写真に心が嬉しく弾みます。
サヤゴケの写真を沢山撮ろうと思って桜の樹を見て回っていたのですが、サヤゴケではなくサヤゴケに似ている苔を見つけました。


タチヒダゴケ
タチヒダゴケ科/学名Orthotrichum consobrinum(オルソトリウム コンソプリヌム)
桜の樹幹に生育しています。サヤゴケもタチヒダゴケも桜の木に限らず木の樹幹に生育しています。日当たりの良いところに生えています。
苔の生えている部分で所々に粒というか種のように見えるのがこの苔の蒴で、形は釣鐘状でドングリを連想させる形です。1年を通して蒴をつけ別名として「コダマゴケ」というのもあります。


タチヒダゴケの蒴の拡大写真です。ドングリの形によく似ています。桜の樹幹に生えている苔も見ながら桜の花見を楽しんでください。

長田

NO、5 陶芸体験

陶芸に夢中になっていた時期があったのですが、その頃、栃木県の益子焼きによく行って陶芸作りを楽しんでいました。その時の土を触る感触が忘れられずいつかまたやってみたいと思っていました。
陶器を作るには「ろくろ」を回しながら「ろくろ」の上に置いた土の形を整えて作っていきます。陶器ができるまでには、土を練る、成形する、乾燥する、素焼き、絵付け、本焼きなどたくさんの工程があり本格的に作ると住み込むぐらいでなければならないぐらいです。
山梨県の山中湖の近くに陶芸体験ができる所があって、ろくろの回し方から丁寧に教えてくれます。
陶芸作りでたくさんある工程の中で、ろくろを使って粘土を成形する所だけを体験できます。
ろくろを回して作ったものがこんな感じです。


この後、お店のスタッフの方が素焼き、絵付け、本焼きなどの作業をしてきれいに整えて完成してもらいます。出来上がりは2ヶ月後です。出来上がった時お見せします。

長田

 

NO、4 年始のご挨拶

2018年元旦あけましておめでとうございます。
皆様に幸せがいきわたることを願いつつ、今年もよろしくお願いします。

前日の大晦日の天気は曇りで初日の出は綺麗に見えるかなと思っていましたが、朝には気持ちよく晴れてくれました。
一年を始めていくには、良い始まりの日になりました。今年も良い年でありますようにと祈りたくなります。


次は初詣です。
初日の出の後に参拝しました。朝早い時間なのでしょうか?人があまりいませんでした。一年のご挨拶を神様にしてきました。
今年の干支は、戌(いぬ)ですが、もう少し細かく言うと戊戌(つちのえいぬ)です。「干支(えと)」とは「干」と「支」からなっていて、干は10種類、支は12種類、それぞれ十干(じっかん)、十二支(じゅうにし)と言われているそうです。全部で60種類の組み合わせがあります。この組み合わせによってその年の傾向が違うそうです。今年はどんな年になるのでしょうか?ちなみに昨年2017年は丁酉(ひのととり)でした。
60年前の戊戌(つちのえいぬ)は、1958年(昭和33年)でした。この年は東京タワーができたり、一万円札ができたり、インスタントラーメンが発売されたり、生活スタイルが変化した年だったらしいです。
時代の大きな変化が今年はあるということなのでしょうか?変化を楽しめるような気持ちで一年を過ごせると良いですね。

長田

 

NO、3 「伯母様(おばさま)」って誰?

人ではなくて、伯母様という地名です。この地区にあるバス停にしっかりと「伯母様」という文字が書かれているのです。

1日に運行しているバスの本数は少ないのですが、ちゃんとしたバス停です。
こうした変わった地名の「伯母様」の由来とは何かと気になるところです。
バス停の近くに伯母様村観音があります。これも気になるのですが、地名の由来を先に。

1550年代後半、戦国大名北条氏康の家臣布施康則さんにこのあたりを所領として与えていたのです。さらにこの伯母様村にあたる地区を布施康則さんの伯母にあたる方、梅林理香大姉さんに所領として与えていた。伯母にあたる人が治めていたことから伯母様という地名が生まれたようです。詳しいことは下の石碑に書かれていました。

伯母様村観音さまは、小さい観音さまです。できた由来は、江戸時代になって大飢饉、天災などが起きたことで、信仰心の象徴として作られたようです。

この中に観音様がいます。
伯母様地区の入り口に橋があります。橋の名前はもちろん「伯母様橋」です。

左上に落書きが書かれているのを見つけました。何が書かれているのか拡大して写真を撮りました。

落書きされてからずいぶん時間が過ぎたのでしょうか字がかすれています。「小森の」と書いてあります。2005年に亡くなられて10年以上経っているのでこんな落書きも懐かしい気持ちが湧いてきます。

長田

NO、2 オカメインコをご存じでしょうか。

オカメインコをご存じでしょうか。
吉祥寺や表参道にも“ことりカフェ”ができ、
百円ショップや雑貨屋にも文鳥や、インコグッズが増加。
世間は今、空前の“インコブーム”です。

オカメインコとはオーストラリアに生息する温暖な気候を好む鳥で、
ほっぺがオカメのお面のようにオレンジやサーモンピンクに色染まって見えます。



オカメインコの好きな食べ物(我が家の子)は
主にナッツ類。ひまわりの種、ゆでた南瓜、
カシューナッツ、トウモロコシ、
などなど甘いものが大好きです。
ちなみにひまわりの種は皮を一個一個むいてあげないとたべてくれません!

我が家のオカメインコはハンモックで就寝。


昼間は常に人の肩の上に乗っています。
喋ることと歌が大好きで、朝は名前を呼んで起こしてくれたり、
歌ってくれたりします。

インコが人間の言葉を繰り返す理由は、
「僕はこの人間と仲良くなりたいんだ!」という強い愛情表現なのです。
もしペットショップで見かけたら、
ぜひ口笛を吹いてみたり、話しかけてみてあげてください。
ものすごく喜んでくれます。

NO、1 苔の観察を楽しむためのアイテム

苔観察にとって重要な道具
苔は非常に小さい植物なので肉眼で細部まで観察するのはほぼ不可能なことです。普通のデジカメで拡大して撮影しても苔の特徴をしっかりと捉えるところまで写せません。苔を細かい所まで観察するには顕微鏡があると良いのですが、顕微鏡は取り扱いが難しいですし値段も高いのでもっと扱いの簡単な道具を探していました。ネット通販サイトで簡易的な顕微鏡が売られていることを発見しました。上の写真はスマホ用の簡易顕微鏡で、スマホのカメラと一緒に使用するとだいたい50倍ぐらいに拡大できます。さらに扱いも簡単です。価格も千円以下で手頃で、LEDライトが付いているので明るく撮影も可能です。ホントに良いものを見つけることができました。下の写真3枚のうち二番目、三番目の写真はこの簡易顕微鏡で撮影した写真です。


ヒナノハイゴケ(雛の這苔)ヒナノハイゴケ科 ヒナノハイゴケ属(別名クチベニゴケ)


雛という漢字が使われている所が可愛らしい印象のある名前です。一番上の写真はコンクリートの壁に生えている全体の雰囲気です。コンクリートに生えている所を見る限りは可愛らしさを感じられません。苔はたいていそういったこととは無関係に生育しています。現実的なことを言うと苔は雑草と同じ扱いだと思います。
二番目の写真を見てください。ヒナノハイゴケの葉の部分を拡大した写真です。葉1枚の長さは1mmあるかどうかといった長さです。綺麗に撮影されていると思います。苔に対する印象が変わってもらえると嬉しいですね。ヒナノハイゴケの葉の特徴として、中肋がなくて葉の先端が細長い透明尖となっている所です。透き通った綺麗な葉です。
三番目の写真は、ヒナノハイゴケの朔です。特徴的な朔です。朔の大きさがだいたい1mmから2mmぐらいです。朔の口環が赤から赤褐色であるところから別名のクチベニゴケと名付けられたようです。拡大した苔を細かく観察してみると印象が変わってくるのでは!

「最近のひとこと」久しぶりの更新になりました。今後ともネタ探しに頑張っていきたいと思います。
長田